• (兵庫県神戸市)東灘区保護司会

令和3年5月18日 FACEBOOK道谷保護司

今日(5月18日)の朝日放送「キャスト」の「なんでやねん!」、平日にもかかわらず、多くの方々にご覧いただけたようで、放送後、LINEやメールで、多数の知人から「見ましたよ!」とご連絡をいただきました。

今日の疑問は、「生田川に何かを通すトンネルがあるのなんでやねん!?」ですが、このトンネル、北野町の異人館街・風見鶏の館の裏を起点とする二級河川・北野川の河口部分なのです。今、北野川は地下河川(暗渠)となっているので、地上を歩いていても川がどこを流れているかわかりません。古川アナが、河川を示すマンホールを見つけたことで、北野川の存在が明らかになったのは、番組でも放映されていました。ネタばらしをすると、このマンホール、古川アナが自力で見つけた様に編集されていましたが、実は、私にヒントを求める電話をかけており、私が「そのあたりの地面を這いつくばって探してみてね!」と答えていたのですが、この電話のシーン、完全にカットされていました。

それから、前回の徳川道と同じく、今回のオチの解説でも、重要なポイントが一つ、時間の関係でカットされてしまいました。その重要なポイントとは、昭和13年(1938)の阪神大水害です。

今は暗渠となっている北野川、江戸時代までは、小さな川として、今の北野坂をまっすぐ南に海まで流れていましたし、旧居留地のすぐ東を流れていたこともあり、一時はこの居留地の掘割にもなっていました。明治20年代に居留地の外国人たちが北野に異人館を建てて移り住むようになり、北野町が形成されていくわけですが、街がつくられるとこの川は、邪魔な存在になっていきます。雨が多く降ると川幅も狭いため水があふれてしまい、また、生活排水を流すことで異臭がすると言う問題が生じ、とうとう川に蓋がけをして暗渠化してしまい、流れも途中で変えて生田川に流すようにしたのです。それが、生田川に八雲橋から北に向かって左手に見える大きなトンネル(北野川の河口部分)です。

このように、川を暗渠化することで問題解決となったのですが、それを打ち砕いたのが、昭和13年の阪神大水害でした。谷崎潤一郎の「細雪」にもその様子が描写されていますが、六甲南麓の河川が大氾濫して、大きな被害をもたらしました。この時、北野川も、暗渠化したことがアダになり、土砂が暗渠の入り口であふれかえり、北野町周辺に甚大な被害をもたらし、風見鶏の隣にある北野神社の鳥居が半分以上埋まったそうです。

その後、北野川をかかえる北野町では、大雨になると阪神大水害の悪夢を想像し、何とかしなければと思うのですが、その解決方法としては、蓋がけをやめ暗渠ではなく普通の開渠の河川にして川幅を広げるのが模範解答なのですが、幅を広げれば街並みを変えることになり、それは無理です。そこで、その解決策として造られたのが、番組の最後に紹介した「沈砂池(ちんさち)」です。一見ダムのようにも見えますが、ダムとは正反対の役割をするものです。ダムは、一定の水量を流すために水を堰き止めるものですが、沈砂池は、そこで土砂をろ過して水だけを流すものです。

ということで、古川アナたちの解答、「街づくりのために川を地下にした」というのがなぜ50点かというと(阪神大水害がなければ正解だったのですが)、阪神大水害があったことで、その街並みを維持し、かつ、水害の危険を除去するためには、川を地下にしたままで「沈砂池」を造るということまで言及していないからです。ただ、この正解に至るには、やはり、阪神大水害のことを触れる必要があるので、番組でそのことがカットされたのは残念です。