今年は、母校・御影高校の創立80周年という節目の年です。同窓会・清明会会長
として、この秋に行われる記念式典に向けて準備を進めています。記念式典の実
行委員長のほか、とりわけ、郷土史家として「80周年記念誌」の監修、および、
その中に収録する「黎明期の沿革史」の執筆を担当しています。巣ごもり状態の
ゴールデンウイークを利用して、「<黎明期の沿革史> 御影高校の黎明~県三
から御影への懸け橋」、なんとか校了することが出来ました。御影高校は、1941
年(昭和16)4月1日、兵庫県立第三神戸高等女学校として設立され、途中、
1948年(昭和23)4月1日、学制改革により、新制高校として兵庫県立御影高等
学校となりました。灘区勘太郎山(現在の神戸大学文学部の学舎のあたり)に建
設中の校舎が1945年(昭和20)8月6日の神戸大空襲で焼失し、紆余曲折の末、
御影の地に永住移転を決め、新制高校としてスタートしました。この勘太郎山の
校舎が無事であれば、御影高校という名称でなかったでしょうし、神戸大学の文
学部も今の場所にはなかったかもしれません。拙稿では、旧制高等女学校から新
制高等学校へ切り替わる際の複雑怪奇な移行措置や、御影移転のいきさつなど、
様々な資料をひっくり返してできるだけ平易にまとめたつもりです。いつもな
ら、締め切りギリギリに校了するのですが、今回は、ステイホームの実践で、相
当早く書き上げることが出来ました。あとは、記念誌全体の監修作業をがんばり
ます。